毛利元就には、多くの息子がいました。
有名なのは、毛利両川として知られる吉川元春と小早川隆景です。
しかし彼らの陰にも、優秀な息子たちがいました。
今回取り上げるのは、八男・末次元康(すえつぐ もとやす)。
彼は兄たちに劣らない智勇を備え、激動の時代に毛利家を支えた重要な人物です。
この記事では、その知られざる生涯と功績に迫ります。
少年期から数々の戦場へ
元康は、永禄3年(1560年)に毛利元就の八男として生まれました。
末次家を継いだことから、「末次元康」と名乗ります。
元康が武将としての才能を開花させるのは早く、若い頃から兄たちと共に数々の合戦に参戦しました。
特に、その初陣は若年ながらも優れた指揮能力を示し、元就の期待に応えるものでした。
武将としての活躍
豊臣政権下で揺れ動く毛利家の中で、彼は重要な役割を果たします。
特に以下の功績は、彼の武勇を物語っています。
- 朝鮮出兵での貢献:兄の小早川隆景と共に渡海。敵兵1000人余りを打ち取る活躍を見せました。
- 伏見城、大津城攻めでの活躍:関ヶ原の戦いの前哨戦として行われた伏見城、大津城攻めに参加。わずか数日で城を落とすという功績を挙げました。
※大津城が開城した日が本戦当日だったため、本戦には参戦していません
これらの活躍から、元康は毛利家において、「兄たちに並ぶ信頼と評価」を得ていました。
悲運の最期と家系の存続
しかし、彼の生涯は突然終わりを告げます。
慶長6年(1601年)、関ヶ原の戦いの直後に病に倒れ、42歳でこの世を去りました。
関ヶ原の戦いで西軍に属した毛利家は、戦後、所領を大幅に減らされるという最大の危機に直面していました。
この危機的状況下で、毛利家が存続するために尽力していた最中の死でした。
それでも、元康の功績は途絶えませんでした。
彼の家系は「厚狭毛利家(あさもうりけ)」として存続。
一門家老として、幕末まで毛利家を支え続けました。
まとめ
末次元康は、表舞台で華々しい活躍をした兄たちに比べ、その生涯が広く知られることは少ないかもしれません。
しかし、毛利家が戦国の世を生き抜き、その後も存続できたのは、彼のような陰の功労者がいたからに他なりません。
彼の生涯は、歴史の教科書には載らない、もう一つの毛利家の物語を私たちに教えてくれます。

兄たちに劣らぬ才覚で家を支え、関ヶ原の戦い後という最も困難な時期を乗り越えるため尽力した。
元康殿の功績は、確かに毛利家の礎を築いたと言えるだろう。

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