広島市南区の比治山に、静かに佇む「多聞院(たもんいん)」という寺があります。
ここは原爆の悲劇を伝える場所として知られていますが、それ以前から長い歴史を歩んできた、由緒ある寺なのです。
この記事では、多聞院が持つ知られざる歴史と、その寺が現代に伝えるメッセージに迫ります。
平安時代から続く、由緒ある「寺」

多聞院の歴史は、今からおよそ800年前、平安時代末期にまで遡ります。
高倉天皇の勅願によって創建されたと伝えられており、当時は現在の呉市音戸町にありました。
その後戦国時代を経て、広島を治めた毛利氏や福島正則といった武将たちによって現在の場所へ移転され、寺の規模も拡大されました。
昭和9年(1934年)には、頼山陽没後100年を紀念し、彼の両親を含む頼家一族の墓所が建立されました。
このように、この寺は古くから有力者と深い関わりを持っていました。
多聞院は、時代を超えて多くの人々の信仰を集め、広島の歴史と共に歩んできたのです。
原爆投下、そして被爆の「寺」へ

多聞院の歴史は、1945年8月6日の「原爆投下の日」に大きな転換点を迎えます。
多聞院は爆心地から近距離にあったため、本堂や多くの建物が壊滅的な被害を受けました。
しかしこの悲劇の中でも、寺は奇跡的にいくつかの遺構を残しました。
爆風と熱線で一部が破壊された鐘楼は、多聞院の被爆の歴史を象徴しています。
その傷跡は、そのままの姿で保存されています。
特にこの被爆遺構は、多聞院が持つ長い歴史の中で、最も重要な部分となっています。
緊急救援活動の拠点に
原爆によって県庁舎が壊滅する中、緊急避難先であった多聞院がその行政機能を引き継ぎました。
被爆当日の夕方、この場所に県防空本部が設置されました。
翌8月7日まで、救援物資の受付や食料の配給手配といった、被災直後の重要な救援活動を行う臨時の拠点となりました。
過去を語り、未来へ祈る「寺」
多聞院は、原爆の記憶を伝える場所として、現代の広島において重要な役割を担っています。
この寺を訪れる人々は、過去の悲劇に思いを馳せ、被爆遺構が語りかけるメッセージに耳を傾けます。
そして、二度とこのような悲劇を繰り返さないという平和への祈りを捧げます。
多聞院は、平安時代から続く由緒ある寺として、そして被爆の歴史を伝える貴重な場所として、これからも広島の街と共に、静かにその物語を語り続けるでしょう。
※この記事に掲載している画像はイメージです。実際の団体、個人、建物、商品などとは異なる場合があります。
多聞院
住所:〒732-0817 広島県広島市南区比治山町7−10

原爆という常識を覆す災禍を経験し、それでもなおその場に立ち続けている。
この事実は、人々が過去の悲劇を忘れず、平和を希求する心そのものが、寺という形で具現化されていることを示しています。

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