「笹の才蔵」の異名で知られる戦国武将、可児吉長(通称・可児才蔵-かに さいぞう)。関ヶ原の戦いで数々の武功を挙げた彼は、美濃(現在の岐阜県)や尾張(現在の愛知県)にゆかりの深い人物として知られています。しかし、彼の最期の地は、広島でした。
今回は、才蔵の魂が眠る才蔵寺の由緒をたどり、彼がこの地で過ごした晩年、そして合格祈願で有名な「ミソ地蔵」にまつわる物語をご紹介します。

なぜ可児才蔵は広島にいるのか?
関ヶ原の戦いの後、才蔵の最後の主君である福島正則は、安芸(現在の広島県)に入国しました。才蔵は、主君に従い広島へとやって来たとされています。才蔵寺は、可児才蔵が自ら創建した寺ではありません。彼の死後、彼の武勇と人柄を慕う人々が、彼の遺骸をこの地に葬り、寺の名を「才蔵寺」へと改めたのです。
才蔵寺は、彼の人生の終着点であり、武士としての誇りを貫いた才蔵の魂が安らかに眠る場所なのです。
合格祈願で有名な「ミソ地蔵」とは

才蔵寺の境内には、受験生や資格試験の合格を願う多くの人々が訪れる、ユニークな地蔵があります。それが「ミソ地蔵」です。
言い伝えによると、才蔵が晩年、病に臥せった際に、味噌を食べて体調が回復したことが由来とされています。また、才蔵が故郷の美濃にいた頃、味噌を愛用していたという説もあります。「味噌(みそ)」が「御入(ごにゅう)」、「御清(ごせい)」に響きが似ていることから、この地蔵に味噌を供えて合格を祈願する風習が生まれたと言われています。
この縁起の良い「ミソ地蔵」に、多くの人々が願いを込めて味噌を供え、合格を祈願しています。
境内の見どころと歴史
才蔵寺には、可児才蔵の墓所や彼にまつわる見どころが点在しています。
- 可児才蔵の墓所:苔むした五輪塔は、激動の時代を生き抜いた武将の静かな最期を物語っています。
- 甲冑姿の可児才蔵:関ヶ原の戦いを彷彿とさせる、勇ましい姿の才蔵の像が建てられています。
- 笹の葉:才蔵の異名にちなんで、境内には笹が植えられています。風に揺れる笹の葉は、彼の武勇を今に伝えています。

才蔵寺は、JR広島駅から徒歩20分ほどの場所にあり、街の喧騒から離れて静かに歴史を感じられる場所です。広島を訪れた際には、ぜひ才蔵寺を訪れ、武将の足跡を感じてみてはいかがでしょうか。
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才蔵寺
住所:〒732-0043 広島県広島市東区東山町1−11

才蔵殿は、まこと希有な縁にて、この地に安らぎの地を得られました。
武士として世の乱を渡り、多くの因縁を背負われたことでしょう。
しかし、今やその御魂は、参拝者の祈りとともに静かに鎮まっております。
「ミソ」に込めた願いの如く、才蔵殿の御心も、清きものへと変わられたことでしょう。
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