「謀神」毛利元就の三男であり、「両川」の一人として毛利家を支えた小早川隆景(こばやかわ たかかげ)。彼は、父・元就が陸での戦を主に担う一方で、自らは海を舞台に、毛利家の勢力を拡大しました。その手腕が最も鮮やかに示されたのが、伊予(いよ)出兵です。
なぜ、隆景は海を越え、伊予を平定することができたのでしょうか?その背景には、彼の卓越した戦略と、人心掌握術がありました。
伊予出兵の背景:瀬戸内海をめぐる覇権争い
当時の伊予国は、毛利氏の支配する安芸・備後と海を隔てて隣接しており、その支配は毛利氏の中国地方における覇権を確固たるものにする上で不可欠でした。しかし、伊予には、四国を統一しようとしていた土佐の長宗我部元親も進出しており、両者の思惑が対立していました。
この状況で、隆景は単なる武力行使に頼らず、戦略と外交を巧みに組み合わせることで、伊予平定を成し遂げます。
隆景の必勝戦略
隆景の伊予出兵における戦略は、以下の三つの柱で構成されていました。
- 強大な毛利水軍の活用:隆景は、瀬戸内海の覇者である村上水軍(能島・来島・因島)を味方につけ、これを中核とする毛利水軍を率いました。陸軍の補給路を確保し、敵の海上交通を遮断することで、戦いを有利に進めました。
- 外交と離間の計:隆景は、伊予の各豪族(国人衆)に対して、武力で攻め滅ぼすだけでなく、巧みな交渉で味方につけていきました。長宗我部元親に反感を抱く国人衆を味方につけ、敵の内部を分断する離間の計も得意としました。
- 迅速な決断と行動力:隆景は、戦況を冷静に分析し、時に大胆な決断を下しました。長宗我部軍が伊予に侵攻した際には、迅速に兵を派遣し、毛利軍の圧倒的な力を示すことで、長宗我部氏の勢力拡大を阻止しました。
海を越えた智将の真価
隆景の伊予出兵は、単なる領土拡大ではありませんでした。彼は、戦を最小限に抑え、伊予の国人衆を毛利氏の味方につけることで、後の長宗我部氏との戦いに備えました。
その結果、毛利氏は四国を統一しようとしていた長宗我部元親の野望を阻止し、西日本の広大な領地を支配する強大な勢力となりました。この功績は、隆景が単なる武将ではなく、父・元就から受け継いだ智将としての才覚を、海という新たな舞台で存分に発揮した証拠です。
毛利元就が陸の智謀で天下に名を馳せたように、小早川隆景は海の戦略で毛利家の強固な基盤を築いたのです。

わしが海を越えて伊予へ向かったのは、ただ武功を立てるためではない。
長宗我部との争いを避け、伊予の国人衆を味方につける。そのために、毛利水軍を巧みに操り、戦を有利に進めたのじゃ。
父上が陸で智謀を巡らすように、わしは海を読み、毛利家の未来を築いたまで。
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