「謀神」と称され、中国地方の覇者となった毛利元就。彼の生涯は数々の戦や謀略に彩られていますが、その人生に深く影響を与えた一人の女性がいました。それが、元就の正室・妙玖(みょうきゅう)です。
妙玖は、戦国武将の妻として、夫を支え、子供たちを育て、毛利家の礎を築きました。そして、彼女の存在は、元就が後世に残した「三本の矢」の教えにも深く関わっていると言われています。
夫婦の出会いと生涯の愛
妙玖は、元就の宿敵でもあった吉川氏の娘として生まれました。彼女が毛利家に嫁いだのは、毛利氏と吉川氏の和睦を目的とした政略結婚でした。しかし、この結婚は、やがて政略を超えた深い愛情で結ばれることになります。
元就は、戦の際には常に妙玖に宛てて手紙を書き、戦況や自身の心境を正直に伝えていたとされます。これは、戦国大名としては異例のことで、元就が妙玖を深く信頼し、心の拠り所にしていた証拠と言えるでしょう。
また、妙玖は、元就が留守の間、領内の統治を補佐するなど、単なる妻としてだけでなく、毛利家の政治にも深く関与していました。
「三本の矢」に込められた想い
妙玖の人生において、最も重要な役割の一つが、元就との間に生まれた子供たちの存在です。
- 毛利隆元(長男)
- 吉川元春(次男)
- 小早川隆景(三男)
この三人の息子たちは、後に「毛利両川」として毛利家の発展を支えることになります。
しかし、妙玖は元就の天下統一を見ることなく、天文14年(1545年)にこの世を去りました。愛する妻の死は、元就に大きな悲しみをもたらし、その後の彼の生き方にも影響を与えたと言われています。
そして、元就が息子たちに「三本の矢」の教えを説いたのは、妙玖の死からしばらく経った後のことでした。この教えは、元就が最愛の妻と築き上げた家庭の絆を、息子たちに託そうとした、深い想いが込められていたのかもしれません。
まとめ
毛利元就の影に隠れがちですが、妙玖は単なる妻ではなく、毛利家を根底から支えた重要な人物でした。彼女の存在は、元就の心を安らがせ、息子たちを立派な武将へと育て、そして「三本の矢」という、後世に語り継がれる教訓を生み出すきっかけとなりました。
妙玖の生涯は、戦国乱世を生き抜いた女性の強さと、家族を思う深い愛を私たちに教えてくれています。

戦国の世にも、こんなに心温まる夫婦の物語があったとは。力強い武将さんの影に、優しい奥様がおられたんやね。
「三本の矢」のお話、心に響きましておす。
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