戦国時代、毛利元就は「三本の矢」の教えで有名です。しかし、その陰で毛利家を支え、信頼関係を築き上げた武将がいました。それが、元就の娘婿となった宍戸隆家(ししど たかいえ)です。
宍戸氏と毛利氏は、もともと安芸国(現在の広島県)の有力な国人領主として、時に争う関係にありました。しかし、元就は自身の娘である五龍局(ごりゅうのつぼね)を隆家に嫁がせることで、両家の関係を大きく変える決断をします。この政略結婚は、単なる同盟関係を超えた、強固な信頼関係の始まりでした。
政略結婚が信頼に変わるまで
当初は政略的な意味合いが強かったこの婚姻ですが、なぜ両家は深く結びつくことができたのでしょうか。そこには、隆家自身の優れた才覚と、毛利家への忠誠心がありました。
隆家は、軍事面でその才能を存分に発揮しました。元就の次男・吉川元春や三男・小早川隆景らと共に、毛利氏の主要な合戦に参陣し、多くの戦功を挙げました。彼の軍事的な活躍は、「毛利両川(吉川・小早川)」に並ぶ「四本目の矢」と称されるほどでした。
特に注目すべきは、彼が毛利家の内政には深く関与せず、軍事の分野で毛利氏を支え続けた点です。これにより、元就は隆家を心底から信頼し、重要な軍事行動を任せるようになりました。
宍戸氏が毛利一門となった証
宍戸氏が毛利家の一門として揺るぎない地位を築いた証として、以下の点が挙げられます。
- 毛利元就の娘との婚姻: 権力基盤を強化するための一般的な手段ではありましたが、この婚姻が両家の対立を終わらせ、後の強い絆の土台となりました。
- 「四本目の矢」としての活躍: 吉川元春や小早川隆景と共に、毛利氏の主要な軍事行動に参加。その功績は、毛利家臣団の中でも突出していました。
- 毛利輝元の補佐: 元就の死後も、その孫である毛利輝元を支え続け、毛利家の安定に貢献しました。
これらの功績により、宍戸氏は江戸時代に長州藩(萩藩)の一門筆頭という、家臣の中でも最も格式の高い家柄として遇されることになります。
歴史に残る、信頼と絆の物語
政略結婚から始まった毛利元就と宍戸隆家の関係は、互いの才能と忠誠心を認め合うことで、深い信頼へと発展しました。隆家の存在なくして、毛利氏が中国地方の覇者となることは難しかったかもしれません。
二人の関係は、戦国時代において、血縁だけでなく、真の信頼がどれほど重要であったかを物語っています。広島の地を訪れる際は、毛利家と共に歩んだ宍戸隆家の功績にも、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

「三本の矢」の陰に隠れがちだが、隆家殿の存在なくして、毛利家の天下はあり得なんだ。
娘婿でありながら、血の繋がり以上に元就公の信頼を勝ち得たのは、その才覚と忠誠心ゆえであろう。
「四本目の矢」と称されるにふさわしい、まことの功労者じゃ。
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