戦国時代の出雲国を支配し、「謀聖」の異名で恐れられた尼子経久(あまご つねひさ)。
下克上を成し遂げ、冷酷な策を弄して勢力を拡大した彼の生涯は、「狡猾な策略家」のイメージが強く語られがちです。
しかしそんな経久には、そのイメージからは想像もつかないような、「家臣想いの逸話」が残されています。
今回は、強欲な謀将の裏に隠された、意外な一面に迫ります。
褒められると何でも与えてしまう

経久には、「自分の持ち物を誰かに褒められると、どんなに高価なものでも惜しげもなく与えてしまう」という癖がありました。
家臣が経久の着物を「見事な色合いですね」と褒めると、彼はその場で着物を脱ぎ、家臣に与えました。
寒い冬の最中にもかかわらず、経久は薄い小袖一枚で過ごしたといいます。
あまりにも気前が良すぎるため、家臣たちは経久の持ち物を褒めることをためらい、誰も物を褒めなくなったという話も伝わっています。
家臣が庭の松の木なら大丈夫だろうと思い、松を褒めたところ、経久はその松を掘り起こして渡そうとしたため、家臣に止められました。
そこで、切って薪にして渡したというエピソードが残っています。
謀聖の裏にある人間性
経久のこうした振る舞いは、単なる気前の良さだったのでしょうか。
あるいは、人心を掌握するための計算された行動だったのでしょうか。
彼は、多くの文献で「天性無欲正直の人」と評されています。
これは、彼が生まれつき物欲がなく、家臣に対して偽りのない優しさを持っていたことを示しているのかもしれません。
戦乱の世において、主君が家臣に物を与えて褒美とするのは一般的なことでした。
しかし、自分の身に着けているものまで与える経久の行動は、家臣たちにとって褒美以上の「主君からの深い信頼と愛情」を感じさせたことでしょう。
信頼が築いた強固な主従関係

経久が家臣たちから絶大な信頼を寄せられたのは、彼が持つ「冷酷な策略家の一面」と、この「家臣想いの一面」という、二つの相反する顔があったからかもしれません。
時には非情な決断を下しながらも、身内や家臣の苦労を理解し、惜しみない愛情を注いだ。
このギャップが、家臣の忠誠心をより一層強固なものにしたのです。
尼子経久の「家臣想い」の逸話は、謀聖と称される彼の裏に隠された、人間的な魅力と主君としての優れた資質を今に伝える、貴重な物語と言えるでしょう。

尼子経久と聞けば、誰もがその智謀と冷酷さを思い浮かべるもの。しかし、このような家臣想いの、人間味あふれる一面があったとは。
あの恐ろしき「謀聖」も、家臣の忠誠あってこそのものであったのだな。


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